戦後80年特別企画 世界にひろがる平和の礎(いしじ)
- harunakawakami
- 7月29日
- 読了時間: 9分
FMうるま「OKINAWA FUTURE INNOVATION」 2025年7月29日(火)の放送は「戦後80年特別企画 世界にひろがる平和の礎(いしじ)」について、平和構築プラクティショナー 徳森りま Lima Linda Tokumori Kinjoさんをお招きしてディスカッションしました。

テーマ:徳森リマさんについて
MC久高「それでは、リマさんの自己紹介をお願いします!」
徳森さん「はい。徳森リマと申します。『リマ』という名前は、ペルーの首都リマ市から取っています。というのも、父が日系ペルー人三世でして、元々のルーツはうるま市の平安座島(へんざじま)にあります。100年以上前に、高祖父母(曽祖父母の親)が平安座島からペルーへ移民しました。ペルーには『平安座人会』というコミュニティがあり、その子ども同士として両親が結婚し、父が生まれました。その後、父の代で沖縄に戻り、私は沖縄で生まれました。」
MC久高「ということは、おじいさんやおばあさんも平安座島にルーツがあるってことだね!リマさんご自身は沖縄で生まれ育ち、幼少期もずっと沖縄だったのですか?」
徳森さん「生まれも育ちも沖縄です。ただ、幼い頃に親の仕事の都合でウルグアイとブラジルに住んでいた時期があり、8歳くらいに沖縄に戻ってからはずっと沖縄です!」
テーマ:アイデンティティの葛藤と誇りについて
MC久高「ご自身のルーツについて、改めて言葉を学びたいと思ったのはいつ頃ですか?」
徳森さん「子どもの頃は、逆にそのルーツが嫌でした。海外にルーツがあることで、自分は『ウチナーンチュ(沖縄の人)との半分、ハーフ』のような中途半端な存在だと感じていて、それが強いコンプレックスだったんです。ペルーにいる祖母のことも、自分の存在を中途半端にさせている原因のように感じてしまい、大嫌いだった時期もあります。」
MC久高「わかる、、。いじめとかもあった?」
徳森さん「ありました。ブラジルから来た時に『英語をしゃべって』と先生に言われたことがあり、ブラジルは英語じゃないし、そもそも話せないし…と恥ずかしい思いをした経験があります。でも、琉球大学に進学した時、『移民論』という授業で『親戚に移民がいる人はインタビューしてくる』という宿題が出たんです。そこで祖母に話を聞いてみたところ、壮絶な人生を歩んできたことを知り、『おばあちゃんはすごい人なんだ』と、心から尊敬するようになりました。またそこで県費留学生と出会い、2つ以上ルーツがある人たちがたくさんいて刺激を受けました。自分が悩んでいたことを払拭してくれるような出会いで、そこから自分自身もペルーのルーツや言葉を大事にしていこうという気持ちになりました。」
MC久高「ハーフって言ったら、マリのお母さんも『ハーフじゃない、ダブルだよ』って言っていたの。『結局倍あるってことだからそれはすごくスペシャルなことだよ』って言われてだんだん考え方が変わっていったよ!おばあちゃんの人生ってどんな感じだったの?」
徳森さん「おばあちゃんはペルーで日系二世として生まれ育ちましたが、当時は日本人排斥運動が盛んで、日本語を学んだり、日本人コミュニティを持つことが難しい時代でした。政治も不安定で、特に戦時中はペルーが連合国側だったため、日本人は『敵国人』として扱われ、強制収容などの大変な経験をしたそうです。沖縄が日本に復帰する年に、親戚から『日本になれば経済が良くなるから沖縄に来なさい』と誘われ移住してきたのですが、今度は日本語が分からず、とても大変だったと話していました。」
MC久高「そうだよね。とても大変だよね。今は結構海外から来られた方たちもだいぶ優遇されているけど、昔マリのお母さんなんて健康保険料のお金は引き落としされているけど、適用外だったこともあったよ、、。」
テーマ:「平和構築プラクティショナー」としての活動について
MC久高「『平和構築プラクティショナー』として活動されているとのことですが、これはどのような活動ですか?」
徳森さん: 実は、この肩書きは今日初めて公の場で使うんです(笑)現在の仕事はJICA沖縄*¹で『国際協力推進員』として、沖縄に住む外国人住民の方をサポートする活動をしています。それと並行して、ボランティアで『平和の礎(いしじ)』*²の名前を読み上げる集いの実行委員もしています。私の中で、これらの仕事やボランティア活動、そして過去の海外協力隊での経験が、すべて『平和構築』というテーマで繋がっているんです!『プラクティショナー』は『実践家』という意味で、平和構築を専門的に発信していける人になりたいという思いを込めて、この肩書きを作ってみました。」
MC久高「どうして平和に関する活動をしようと思ったの?」
徳森さん「子どもの頃、ブラジルから沖縄の小学校に転入した日に『ブラジルへ帰れ』と言われ、とても傷ついた経験が原点です。自分は何人なんだろうとすごく悩んで辛い時期を過ごしました。その時から、『大人になったら、誰も悲しい思いをしない世界を作りたい』と強く決めていました!」
MC久高「人のことを思いやり、人の立場になって物事を考えることができる人って、辛い思いをしてきた人たちなんだよね。だからこそこういった『平和』に関する活動ができると思うし、辛い経験も大切ではあったんだよね!」
MC富樫「徳森さんのお話をお伺いしてて、マーリーも僕も、徳森さんもアイデンティティの点から結構共通するところがあるんだなと思いながらお話を聞いていました!僕はロシアが1/4、旧ソ連が1/4入っているんですが、小学生の頃にはやはり『ロシアに帰れ』などと言われたことがありました。逆にロシアに居たときには日本人として扱われ、アメリカに居た時は日本人として扱われてといった時に、アイデンティティって何だろうなんて思っていました。ある人に『アイデンティティは国ではなくて自分のためにあるものだ』と言われてからは、『自分』というアイデンティティの大切さに気づくことができました。徳森さんやマーリーと同じように『平和』というところで共通して一緒に活動できているな、なんて思っています!」
徳森さん「今でも似ているルーツがあると感覚というものはすぐに共感できるのだなと感じました!」
MC久高「『平和の礎』の読み上げについて教えてください。」
徳森さん「この活動は、ウクライナ侵攻が始まった年に『沖縄でもやろう』と始まり、今年で4回目になります。元々は、アウシュビッツの犠牲者の名前を読み上げる海外の活動を参考に、日本でもシベリア抑留や東京大空襲の犠牲者名簿で同様の取り組みが行われており、それがきっかけです。『平和の礎』には約24万2千人の方の名前が刻まれています。最初の年は24時間体制で12日間かけて読み上げました。大変な反響があり、特に学校の先生方から『参加した子どもたちが変わった』という声を多くいただきました。名簿には亡くなった年齢も記されており、3歳や0歳といった子どもたちも戦争で亡くなったことを知り、子どもたちの戦争に対する見方が変わったそうです。そこで毎年続けることになり、現在は6月1日から慰霊の日の23日まで、3週間かけて毎日12時間、みんなで名前を読み上げています。」
MC久高「確かにこの方たちのそこに居た証拠・証が、そこに刻まれた名前だけだもんね。声に出して名前を読むことは、本当に大切だと思う。実際にリマさんがやってみてどうですか?」
徳森さん「やるのはとても大変ですが、毎年みんなと成長しているなと感じています!YouTubeを繋げて配信したり、みんなに参加してもらうために運営するだけでも大変でした。しかし毎年参加者側にもご協力いただき、次はいろんな人を誘って参加してくれたり、県内だけではなく全国からも参加していただけています。全国そして海外の方たちとも繋がることができ、今年は台湾でもこの取り組みが取材されました。」
MC久高「読む側もただ名前を読み上げるだけではなくて、その人への弔いの気持ちがこもった名前の読み方になると思うから大切な活動だよね。とっても大変だけど、ありがたい活動をされているなと思う。まさに『平和構築プラクティショナー』の活動の一環だよね!」
テーマ:今後について

MC久高「今後、どのような活動をしていきたいですか?」
徳森さん「私は昨年12月まで、国連ボランティアとしてメキシコで働いていました。沖縄と中南米には多くの共通点があります。今後は、学校やコミュニティで、今日のような平和構築に関するお話をする機会をどんどん増やして、皆さんからいただいたヒントをさらに広めていく活動をしていきたいです!」
MC富樫「JICAでも活動されていたということなんですが、私たちもつい最近コートジボワールの方向けにJICAの研修を担当させていただきました。私たちも医療の分野で多様性を重視した取り組みを進める必要があります。先日マレーシアで体調を崩した際、現地の病院で宗教について尋ねられました。日本でも、海外から来られる方々に対して、そうした文化的な配慮がますます重要になると感じています。」
インタビュアー小川「これから夏休みに入り、戦争の記憶に触れる機会が増えます。医療や教育、文化など様々なものが交差する沖縄という場所で、MRTとしても海外にルーツを持つ方々へのサポートをしていきたいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました!」
*¹ JICA沖縄:
独立行政法人国際協力機構(JICA/ジャイカ※)は、日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っています。
※JICA/ジャイカはJapan International Cooperation Agencyの略称です。
出典:独立行政法人国際協力機構 公式ホームページ JICAについて
沖縄振興(沖縄21世紀ビジョン等)におけるJICAの役割
JICA沖縄は1985年4月17日にASEAN各国の人造りセンター支援を中心とした技術研修機関として設置されました。
1992年のJICA沖縄支部廃止に伴い、同支部で実施していたボランティア派遣業務等を承継し、県内JICA事業全体の窓口となっています。
また、沖縄振興(開発)特別措置法、沖縄21世紀ビジョンとJICAについても紹介しています。
出典:独立行政法人国際協力機構 公式ホームページ JICA沖縄 事業の紹介
*² 平和の礎:
「平和の礎」は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、平成7(1995)年に建設されました。「平和の礎」と書いて「へいわのいしじ」と読みます。この名前は、建物の基礎の「礎(いしずえ)」を、沖縄の方言で「礎(いしじ)」ということに由来しており、ゆるぎない平和への想いを込めて名付けられました。
出典:沖縄県公式ホームページ
沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑として、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して、平成7(1995)年に建設しました。
出典:沖縄県 公式ホームページ 5 「平和の礎」建設の趣旨、基本理念、デザインコンセプト
毎週火曜日18時から19時、
MRT presents OKINAWA FUTURE INNOVATION、次回もお楽しみに!

インタビュアー小川 智也について
MRT株式会社の代表取締役兼、現役医師。
国立病院機構大阪医療センター救命救急センターなどの経験を経て2011年にMRT入社。
MRTは医療人材プラットフォームを展開し、単発非常勤医師紹介では日本最大級のシェアを誇る。
国内初の遠隔診療(オンライン診療)サービスも開始。
MRTサイト:https://medrt.co.jp/



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